わたしたちには、自分で自分を癒す力も備わっており
自分の心や魂と向き合う術も誰しも持っている
外の世界とのかかわりにおいて、
自分自身で自分の道を選ばないといけない
誰かが決められるものではない
沖縄で、ユタ通い という言葉がある
わたしもユタに二度ほどみてもらったことがある
彼女たちの言葉を聞きながら、
神聖な神々の言葉というものや、
それがどこからやってくるのだろうかと観察していたりした
ユタ通いというのは、沖縄独特のもので
古い家には特に、専任のユタが決まっていて
何かあるたび、引越し、結婚、仕事など含めた
人生の転機など、生活に起こる問題などもユタに聞くというものだ
ユタも、承知していて、いろんな話をしてくれ、決め事などもユタが決めたりする
これは、高額になっていく場合もあるから
ユタ通いというのは、いい意味で使われることはないような言葉だ
何かあればユタに聞き、それを信じ、鵜呑みにして決める
間違いがない、あのユタは本物だと、そう判断して聞きにいく
これは、沖縄だけでなく、全国にあるのかもしれない
庄内でもよく聞く話
何かあると、そういう人に聞きにいったり、
全部当てられたと嬉しがっている人をみたことがある
どうしてだろうか。不思議で仕方ない。
どうして、自分の神様に聞かないのだろうか。
それが不思議でならない。
宗教の話ではなく、自分の中にいる大いなる神の存在は、
誰のどんな言葉や、神聖とされるものごとよりも、
確かで、力強い存在なのに。
そういうと、そういうものと話す力があたしには無いから、と言う。
そうだろうか
試したのだろうか
どんなふうに
自分という存在がどれほど優れていて
どれだけ大きな存在であるかということをわかっている人は
ユタ通いする必要がないかもしれない
けれど、
自分の中にいる大きな神の存在は、
きっと、いつも「わたし」と交信したがっているはずだ
それだけではない
天使や、自分を守護してくれている存在たちも、
直接交信したがっているはず
きっと、誰もの自分を守り導いてくれている神様は、
あなたと交信したがっている
外に求めてしまう心をいったん、置いて
自分の中の存在に耳をすませて、
その声がやってくるのを、信じる時間を設けてみてはどうだろうか
あらゆる方法で交信はできると想う
いつも上で守ってくれている天使たちも
気にかけてくれるだけで、いつも大喜びするから
自分の心が決める
人に明け渡さない
自分をありのまま許す
自分とつながりが深くなるごとに
答えは、向こうからやってくる
すべての生命の中で
自分とはどれほど尊いものであるか
その道を歩み始めると
世界は輝き、色彩が増してゆく。
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