以前、祖父の葬儀のときに、わたしが、弔辞を読んだことをうけて、
住職がお話してくれたことです。
心でみる世界のお話。
祖父は大工の棟梁でしたので、作業場で鉋(かんな)をかけている姿をいつもみていました。
鉋(かんな)は、けずっていくと、薄い透明な鉋クズが出ます。
これは、実は難しく、鍛錬を積み重ねないと、途中で切れてしまったりするそうです。
女なので、道具は祖父は触らせてはくれませんでしたが^^;笑
鉋クズだけは、好きなだけ触らせてもらっていました。
その透明な様、祖父が木材の両面を水平に眺めながら
何かを思案している様をみているのが好きでした。
そして、いつも人のため、誰かが困らないようにともくもくと作業し、無口だった祖父。
そういったことすべてが、
奢らぬように、そして自分を見くびらないように
出ることもなく、ひっこむこともなく、
いつも平面を望んでいた視線のように、
心、透明でありつづけようとしていた
祖父の職人としての面持ちを思い
心に鉋(かんな)をかけつづけていた祖父のことを弔辞でお話しました。
すると、住職が、お話したこと。
仏教用語には、外観道というのがあるそうです。
外観道というのは、外側の世界をみていること。
だれだれよりも、うまく鉋をかけようとか
俺の方が下手だとか、外側の世界のことだけをみて
自分の心で判断するようなことだ、という意味のことを
お話されました。
それを総じて、観をはずし、
外道というそうです。
それに引き換え、
内観道というものがあります。
内観道を、総じて内道というそうですが、
鉋(かんな)をかけることを通して、
自分の心を見つめていく。
自分の心に浮かぶ、疑念や奢り、嫉妬や、いらだちや
いろんな感情を静かに観察し、
折り合いをつけていく。
心に鉋(かんな)をかけるの言葉通りに、誰とも競争することなく
自分の心の問いかけのままに、
道を進んでいた祖父のことのようで、
職人だから、内にこもる気質であったことだろうけれど、
そういったことを内観道だと
住職はお話してくれました。
祖父の話と、鉋(かんな)に例えましたが。
これは、本当は、人の歩き方でもあると思いました。
やっぱり、外観道で、誰よりも、自分の方が〜
もっと人よりも、こうなりたい〜
あれが足りない〜
こうなりがちです。
わたしが、SNSの利用を控えた理由もこれにあります。
心がワサワサするから。
外観道は、本当に外道です。
だんだん心が疲れてきちゃいます。
これをしていない自分は、周りに比べて、足りないのかな?
と思ってしまったり
自分の方が、うまくやっているのに、どうして?とか
いろんな猜疑心や、疑いの気持ちが沸いてきてしまいます。
けれど、内観道として、物事をみるのではなく
物事を通して、自分の心に浮かんだ、感情の動きや、
気持ちを黙って観察していると、
誰とも、競争したり、争ったりすることもしなくてよく
心に正直であれば、
いまが、とても幸せであることにも気づけたりするのです。
そして、黙って観察していると、
自分に足りないものが
人や何かと比べて、足りないのではなくて
これから進んで生きたい道の上で、
もっと、こう精進しようという気持ちが沸いてくる
のだと思います。
うちは、代々職人の家系なので、
そりゃもちろん、商売は大事なことでしたが、
自分がやりたい道、
もっと良くしたい、こうしたら、もっといろんな人が助かるだろうとか、
そういったことを、沈黙した眼で見据えてきた
先祖がいたと思います。
職人じゃなくても、
何かをやろうとか、こうしたい、こうなってみたいと
いう気持ちの先には、
どんな風景があるのかを
確かめながら進まないとなと思います。
それが、誰かのため、誰かに打ち負かしたいから?
誰かよりも、もっとたくさんの○○を得たいから?
人に認められたいから?
そうなりがちなときほど、
内観道をおすすめします。
あ〜嫉妬があるのね。
あ〜あのとき、悔しかったのね。
心の羅針盤を確かめながら
人生を航海していきましょうね〜♪p(*^-^*)q
PS,
そんな、大事な話をしてくれた住職。
その話の流れから、「最近の日本っていうのは、どうなってるんだか、北朝鮮!
政治家ももっとしっかりしてくれないと!」
っていう説法を話してました。
それ! めっちゃ、外道やん!!
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