命のことを考える。
命は、本当に不思議で、生まれてくる赤ちゃんが、
いつ、どこで、どんなふうに、生まれるかを決めてやってくる。
ハナのとき、お腹にいるハナとよく会話をしていた。
最初、自宅出産にしようかと迷っていたわたしに、ハナが、
「愛ある人の手で生まれたい」
と言ったのだ。
実際、生まれるとき、助産師さんと、先生が
会陰切開しないでほしいというバースプランを聞き入れてくれて、
切れないように、力んじゃダメ!とか、誘導してくれ、切れずに、生まれ
すぐにカンガルーケアもさせてくれ、満足いくお産ができた。
沖縄県内で長年の功労に感謝状を贈られたベテランのおばあちゃん助産師さんもいて、
わたしが個室の部屋で流していた音楽を聞いて、
「これ、いい音楽ね」
と言ってくれたり、ほっといてくれたり、あまりかまいすぎることなく、
のんびり入院生活を送らせてもらった。本当にいい入院だった。
ハナは、ことあるごとに、
「お母さん、もっと喜んで。自分の喜びのために立ち上がって!」
と言っていた。人のことばかりになって、自分を後回しにして苦しくなっている私に
ハナは、いつもお腹からそう言っていた。
いま、お腹の子(通称ピピ)は、
「お母さん、笑って」
といつも言ってくれている。大丈夫だから。安心して。と。
ハナが生まれるとき、ハナが生まれる日と時間帯は、デッテが受信した。
たぶん、20日の明け方じゃないかな。
本当にその通りになった。
子供たちは、何らかの形で、わたしたちにメッセージをくれ、今回生まれてくるのは、
○○のためだよ、と教えてくれたりする。
だから、その子が生まれたい、日、場所、なども、その子がきめてやってくるんだよね。
こちらで、どうか、このように!と思っても、その子の決めてくることだから。
日付も、すべて、その子の運命、宿命、天命のようなものにそって、
決めてくる。
生まれ方も、どんな風に生まれたかや、その子がどんな子に生まれたかってことも
全部、その子が決めて生まれてくる。
ココのときに、27時間もの難産で、もう子供は生みたくない!と思ったから、
ハナができるまで、5年も空いた。
そのおかげで、ココに十分時間を使うことができた。
ハナは、生まれて歩き始めたりするとすぐに、なんでも自分でやりたがり、
「ハナちゃん、自分でやる!」
と言っていろんなことをやっていたら、ピピができた。
自分のすぐ後ろに、やってくる命のことをわかっていたからだなと思う。
名前も、両親や誰かがつけたと思うかもしれないけれど、
実は、子供が決めてくる。
ハナのとき、それがわかった。名前何がいい?ときくと、お腹で、
「ハハ」
と言った。ハハって、名前変じゃない?やっぱりわからないのかねえ。と思っていたが、いま思えば、わたしが聞き違いしていた。
実際、産まれてからココがきめたのは、ハナだった。
お腹で彼女は、ハナと言っていたんだとあと後でわかった。
赤ちゃんが、全部選んで生まれてくる。
この時期にお腹に宿ろうとか、それは、全部その子の命の都合だと思っている。
だから、○○しなかったから、○○な子が生まれた〜だとか、
お母さんたちが、自分を責めるようなことは、本当は何もないんだよね。
お母さんっていうのは、子供のことで自分を責めがちだけど、
本当は、そういうお母さんのこともすべて含めて選んできているんだよね。
子供たちって。
お母さんが○○、だから、自分はこういう成長ができる、って。
自分は、母として、足りないなと思ったりすることがあるとき、
あ、でも、この子、そんなあたしを選んできたんだもんね、と
思い出せたら、少しは子育て楽かなあ。
誰もかれも、ご先祖や、その歴史の中で生きづらいものを抱えて育っている。
けれど、そんな自分や、そんなわが子のこと、
みんな、そういう宿命を選んで生まれてきたんだなってこと。
自分が、イケないから、こんな子に育ったとか、
自分のせいで、○○になったとか、
そんなこと、1ミリもない。とわたしは思う。
そういうのを教えてくれたのも、お腹にいたわが子たち。
会話なんて、できるの?と思う人は、ゆっくり心おちつけて、心で赤ちゃんに問いかけてみるといい。
それは、生まれてからもできる。
わたしたちが、どれだけ何しようとも、
命の決め事や、采配は、回ってるんだな。
自分も含めた、わたしたちの命、
それは、とてつもない大きな存在そのものの一部だと思うな。
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