数年前、秋のこと。
友人宅から帰ってきて、すぐに熱を測ると38,9度。
おしゃべりしている最中から何かおかしいなと思っていたが、
こんなに熱が出ているとは!と驚くまもなく、悪寒と全身の痛みで
もだえ始めた。
我が家では、こういうときにまずは様子をみて、まずは家でできることを
することにしている。
ホメオパシーのレメディをとり、ローズマリーを煎じてお茶をつくり、
頭を冷やしてまずは安静。
子供がなったときは、何がどんな状態かわからないために、レメディを飲ますのも
あれかな、これかなと悩み事が多いのだけれど、
自分の場合で、しかもこんな高熱の急性症状に使うのはめったにないので、
試しがいがあると思って、どんなふうに利くのか感じたかったので慎重に飲んでいった。
ただの風邪の症状じゃないのは、身体の反応でわかった。
まずは、ACON つぎに、STAPH をとった。
なぜか、二三日前から、インナーチャイルドの癒しのために、STAPHとIGNをとっていたのだが、
ここにきて、何か、悲しいというか、気持ちが悔しさがでていたので、それらをとってみると、
忘れていた、昔のことを思い出した。
よく父に呼び出されて、叩かれていたこと。
父は、家族のいる前ではなく、あえて、父の部屋に呼び出して、いろんな理由からわたしを怒鳴り怒って叩く人だった。
いまでは、そんなことあった?っていうくらい
すっとぼけた初老になってしまっているが、笑
態度が気に入らない。目つきが悪い。生活、成績、もろもろのこと。
父があまりに罵倒するので、家族はわたしをかばって
父が、怒るのをたしなめさせてしまう。
それが父には気に入らないので、あえて、家族のいない自分の部屋に呼び出して怒る。叩く。
みんなで、居間にいるときなどに、父が「ちょっと来い」っていうのを聞くと
わたしは怖くて、嫌で仕方なかった。
そして、いけば、かならず叩かれる。それもすごい罵倒と罵りと、責めを浴びせられながらだ。
わたしは、誰かわたしが父の部屋に呼ばれることを引き止めてほしかったけれど、
家族の誰も引き止めてくれるものはいなかった。
父は、弱くてずるかった人だ。
涙があふれて止まらなくなった。
当時のことがまざまざと蘇ってきた。
反論もできない、口答えも許されない二時間も三時間にも及ぶ軟禁状態。
それもこれも、自分が悪い子だからこうなるんだと。
熱でうなされながら、
誰が悪いんだ?誰が悪いから叩かれているか言えと言わされる、かわいそうな小学生くらいの自分が突然目の前に情景として現れてきた。
レメディをとったことで、これら曖昧に記憶してきたことがはっきり思い出されてきたのだと思う。
怖くて、悔しくて、悲しくて震えている洋間のソファに座っているわたしが出てきた。
隣では、父が立ち上がって、罵っている。
何をいっても、わたしの意見など聞く耳ももってくれなくて、
ただひたすら父の怒りが修まるのを待つしかない長い時間。
そんな黙って震えながら耐えている小さい「わたし」に、
今のわたしは何をしてあげたらいいかわからずオロオロしてしまった。
こんな状況が思い出されてしまっても、この子に何をしてあげたらいいんだ?
わたしもその部屋が怖かったから。
全部わたしが悪いからだ。
そう思ってしまう子供のわたしの気持ちが、助けに部屋に入ろうと思っても入り込めない要となってしまっていた。
今のわたしにできることは?もし、この震えている子供がわたしの子供たちだったら?
わたしの産んだ子供が、父親だとしてもこんな男の虫の居所の悪さから来る怒りのたびにこんな目に何度もあっているとしたら?
と思ったとたんに、スッと部屋に入っていけて、ソファにすわっている小さなわたしの肩を抱いて、
「ピンキーちゃん。どうしたい?今どうしたいの?」
と聞いた。涙と悔しさで答えられない彼女だったが。
「もうやだ。」
と言った。
「もうヤなんだね。ここにいたくないんだよね」
うなづくのをみて、
「目の前で怒鳴っているこの人をどうしたい?」
と聞くと、小さいわたしは、
「いなくなってほしい」
わかった。だったら、と
怒鳴っている父の映像の周りをまあるく切り取って遥かかなた窓の外へ飛ばしてやった。
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(イメージでやります)
部屋には、わたしと小さいわたしの二人きり。
室内はさっきは暗くて怖かったのに、今はなんともない。
父が会社にいっていない昼間の洋間みたいな感じになった。
「もう大丈夫だよ。飛ばしてやったから、あいつは戻ってこないよ」
ほっとした顔をした小さなわたしを見て、わたしも安心した。
おいで、と彼女をわたしの中に入れてあげるとフッとお腹が温まった。
インナーチャイルドが落ち着いてくれた証拠だ。
こんなに悔しくて悲しかったこと、思い出の感覚が鈍っていて、よく覚えてなかったんだね。
ごめんね。忘れていて。許してね。
教えてくれて、ありがとう。
愛しているよ。
39度あった熱が、泣いたあと、
38度3分ほどに下がってきていた。
毒だしだったのね。
その後も39度になることはなく、必要な思い出し、毒だしだったのかなと思った。
悔しい、どうせあたしのことをわかってくれない。
そんな思いがまだわたしの中にあったが、熱とともに、どんどんでていってくれたらいいと思えた。
たぶん症状は、ヘルペンギーナでは?
ただの風邪ではない痛みで一睡もできなかったので。
けれど、レメディを飲んで体験することで、回復に向かうのが早かったかもしれないとも思った。
不思議な体験だった。
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